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ラーゲリより愛をこめてと「私」

二宮和也・北川景子が出演する映画「ラーゲリより愛を込めて」が大ヒット上映されています。この映画には原作があります。辺見じゅんさんの「収容所(ラーゲリ)から来た遺書」です。


あらすじは、第二次世界大戦後、シベリアに抑留され、ラーゲリ(強制収容所)で過酷な生活を強いられる日本人捕虜たちは、絶望の毎日を送っていました。そのうちの1人である山本幡男さんは、いつか日本へ帰国できると信じて周囲の人々を支えていきます。


残念ですが、山本さんは病気で亡くなってしまいます。彼が家族にあてて書いた遺書が、彼を慕う仲間達の驚くべき方法によって厳しいソ連の監視をかいくぐって遺族に届けられた実話です。


この本を1月に読みました。読み進めていくと、主人公の山本さんの体験と3日間の検査入院だったはずが、敗血症になり長期入院になってしまった私の体験が少しかぶって見えてきました。山本さんや他の収容された方と比べることはおこがましいですが、いくつか似ている点があるように感じました。


山本さんも私も何の落ち度もないのに、長期に捕虜(入院)生活を余儀なくされた。家族と面会することはできない。いつ出れるのかが分からない。似ているといいましたが、私は家族とラインや携帯で連絡はできます。過酷な労働もありません。私には病気による高熱やだるさ、感染防止のために同室の人と話ができないさみしさがありました。


高熱が出たり、家族や周りの人と話ができないことは耐えました。きつかったのは退院がいつになるかが分からないことでした。12/17に私の出版記念で師匠が講演をしてくれることになっていました。何度も医師に退院できる日を確認しますが、12/17に間に合いますとは言いません。私には「いつ退院できるのか分からない」という未来が見えない状態がきつかったです。


私からも妻からも転院させてほしいと懇願しますが、「転院しても結果は一緒です。今はコロナですので、なかなか受け入れもしてくれませんよ」とけんもほろろに扱われました。この時に一番、心理的に参りました。山本さんの体験とは比べ物になりませんが、未来が見えないという状況はこんなにも人を絶望に導くのかと思いました。


ようやく12/10の土曜日の検診で、「このまま熱が出なくて、血液検査の結果が良かったら来週の火曜日に退院としましょう」と言いました。やっと退院でき、12/17に間に合うことが嬉しかったです。しかし、その夜に39度の熱が出たのです。熱が出たことを悟られては、妻がとても心配すると思い、このことは全く伝えないことにしました。


翌日は、日曜日です。医師は出勤しないので、その日は解熱剤の投与だけでした。一日中、ベットで寝ていました。熱が出たことを家族に伝えないことにしたと書きましたが、事実は、伝えることもできないくらい弱っていました。


月曜日に医師が来ましたが、血液検査と、少しの説明でした。これで、予定してた火曜日の退院は無理だと思いました。こんな状況でしたが、記念講演の中止はギリギリまで引っ張ることにしました。


退院して備品を友人の会社に車で借りに行くつもりでしたが、それを止めてうちの会社に送ってもらうように依頼するなど、全く熱が出たことは、電話で妻に伝えずに、記念講演が開催のための準備だけを伝えました。後で妻から言われましたが、翌日の退院のことを一言も言わないので、私の異常は察していました。よく考えたら当たり前ですね。


次の火曜日に医師が来て「抗生剤に辻さんの体が反応して熱が出たようです。こういうこともありますが、昨日の血液検査の結果は、肝臓、腎臓の数値が悪いです。特に腎臓の数値がかなり悪いです」と言われました。


さすがに、これはダメだ! 12/17に間に合わない。それどころか、体が悪くなっていることに、希望を失いました。医師の前で嗚咽しました。看護師さんが「辻さん、まずは体を治しましょう」と労わってくれますが、それも耳に入りません。


このことを妻に電話しました。話をしながら、記念講演を中止にする決断した悔しさ、理不尽さに耐えきれず、涙があふれ出ていました。妻に心配をかけたくない。と書きましたが、結局、私の場合は気分本意の行動でした。


山本さんは家族を心配させないようにと、どんどんと病気で悪くなる体のことは伝えていません。それどころか、自分の事はさておき、家族の心配をされています。また、病魔に侵されて日本には帰国できないことは分かっていたと思いますが、悲観で涙を流すことはなかったです。自分の事は後にして、他人を優先する。これが「人への優しさ」だと思いました。私のやっていたことは、「自分への優しさ」だと気づきました。


ここまで読んだ方は、中止となったと思った方が多いと思いますが逆転しました。翌日の水曜日に医師が来て「肝臓、腎臓も別の病院の専門医に聞くと、抗生剤の影響だという見解になりました。熱は火曜日から下がっているので木曜日には退院できます」と言われてました。拍子抜けしました。退院して木、金曜日に準備を行いました。体は大変でしたが、充実感がありました。


実際には私は何もせずに、従業員さんが荷物作りから車に運ぶのを手伝ってくれてくれました。当日、会場まで妻が車を運転してくれました。会場に着いたら、早く来てくれていた仲間が会場設営をしてくれ、研修はベテランが手助けしてくれました。多くの人の支えのおかげで、記念講演とMG研修が開催できました。これだけ何も手を出せない自分は生まれて初めてです。人からの支えがとてもありがたかったです。


このような体調でしたが、中止をせずに、やろうと思ったのは、師匠が、特別に私の出版記念ために講演台に立つと言ってくれたからです。せっかくの師匠の思いを無駄にはしたくなくて、何とか開催できないかという思いが入院中の辛さを忘れさせてくれましたし、12/17までには退院するぞと言う強い思いを持ち続けることができました。


この本で、収容所のひどい状況が書かれています。収容所にいた人たちが、それに耐えたのは、いつか日本に帰るという希望だった思います。今の状況が良い、悪いよりも、未来に望みがあることは、大事だと思いました。望みは生きる勇気を与えてくれるような気がします。会社でも社員さんだけでなく、自分自身を含めて未来への望みを感じられること。また、その望みに向けて少しでも近づいているという実感を得るようにすることが大事だと気づきました。


最初に、山本さんに似た体験をしたと書きましたが、体験は似ていてもそれに対する態度は、全く違っていました。山本さんと比べるのはおこがましかったです。


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​研修(MG)予定

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