それって愛情なのだろうか?
お盆休みに、大学の同窓会を開催しました。3年前に、大学卒業30周年で企画しましたが、コロナで延び延びになっていました。
久しぶりに旧交を温められて、とてもいい時間でした。化学系の大学教授になっている友人がいます。その友人に、「女子学生と一緒に実験できるのはいいな。○○教授と言って慕ってくれるんやろ。うらやましいわ」と冷やかすと驚く言葉が返ってきました。
「そんなこと全くないよ。学生さんはお客様やからね。無事大学から卒業してもらうことが大事なんだよ。」と言いました。
さらに「俺たちが学生のころと教授とは、今の教授は全く違っているだよ。研究ばっかりやっているわけじゃないんだよ。」と言って、今担当している仕事を説明してくれました。
学生相談の窓口をやっているといいました。この時点で、みんなの頭に?マークが浮かびました。教授が相談窓口???
出席率の悪い子に教授が連絡してその理由を聞いたり、成績が悪くて留年しそうな子には、4年で卒業するための単位取得計画を一緒に考えたり、また卒業研究で指導教官との折り合いが悪い子がいたら、間を取り持ったりしていると言いました。
それって教授の仕事なのか? と周りの友人も思ったようで「昔の教務課がやってたような仕事を教授がしているんやね」と言いました。
「そうそう。今の時代は、そこまでフォローしてあげないといけないんだよ。さっき、学生さんをお客さんといったけど、企業で言ったら学生さんは商品だよ。だから丁寧にあつかっているだ」と言いました。
隣に座っていた別の友人が、「あっ、そういうこと。大学がそういう対応しているから、最近の新入社員の退職理由に、上司が仕事を教えてくれない。という理由が多くなってきたんだ。俺らが新卒のときは、分からなかったら聞け。と言われてたけどなぁ。時代は変わったな。」と言いました。
うちの会社では新卒採用などしたことがなかったので、この現状を知って、あまりの過保護ぶりに、頭がクラクラしてきました。学校に行かないことを選んでいるのは本人、その結末(退学や留年)を体験させずに、教授が手を差し伸べる。
指導教官と、コミュニケーションが上手に取れないのは、指導教官側にも問題があるかもしれませんが、指導されている学生が全員そう思っていないと思います。そうすると、たぶんに本人のコミュニケーションにも問題があるように思います。
この構造は、「子供に年長者が合わせている」というように私には見えました。そしてこの構造で対応を続けると、自分が気が付かないピンチは、年長者(教授、上司、親)が助けてくれるのが当たり前になると思いました。与えられることが当たり前で、自らがピンチに気付くことやピンチを自分の力で乗り越えることはできないと感じました。
留年させないようにと教授がフォローしていくことは、その子のためを思っているように見えるかもしれません。私から見たら、4年で卒業させるため、もっと言えば、親から文句を言われないため、留年を減らして大学の評価を上げるため。それは、今さえよければいいという短期的に対応に思えます。
その対応が本当に相手の将来のためになるのかをよく考える必要があると思った同窓会でした。
かくいう私も、目先の利益のために安易な手を選んでいると思います。長い目で見てよくなることに手を打っていきたいと思います。
今日のひとこと
「耳の痛い意見を言ってくれる人が、本当の味方だと思います!」
Comentários