パン屋と浮浪者

「俺が待っていることを知っているだろう!」とある浮浪者が言いました。

それを聞いたパン屋さんは、自分としては良かれと思っていやっていたことが、あだになったと思ったそうです。


独立して移動式のパン屋さんを始めました。パンの質には自信がありましたが、なかなか認知が高まらず、毎日パンが売れ残っていました。パン工房に戻り、売れ残ったパンをゴミ箱へ捨てるときには、情けなさや将来への不安で涙が出たそうです。


あるとき、公園で浮浪者を見かけました。売れないパンを捨てている自分に、将来がかぶって見えたそうです。その浮浪者がかわいそうになり、車を停めて「残り物だけどパンを食べるかい」と声を掛けたそうです。


その浮浪者はパン屋さんの手を取り、涙ながらに「あなたみたいな人は初めてです。腹が減って、もうだめかと思っていました。ありがとうございます。ありがとうございます」と喜びました。そしてパン屋さんが車を発進させてからも、ずっと頭を下げていました。


それから、パン屋さんは、毎日にその公園を通って、売れ残ったパンをその浮浪者にあげるようになったそうです。一ヶ月近くたったある日、たまたま、すべてのパンが売れきれたために、その公園の前を素通りして信号機で停まっていました。


その浮浪者が走り寄ってきて、笑いながら「だんな!何か忘れていませんか?」とパン屋さんに言いました。パン屋さんが「ごめんね。今日は全部売れたから、残ってないんだよ」と答えました。笑っていた浮浪者の顔から笑みが消え「俺が待っていることを知っているだろ」と吐き捨てるように言って、公園に戻って行ったそうです。


パン屋さんは、自分としては良かれと思ってやっていたことが、結局は、一人の人の自立を妨げ、働かなくてもいいという環境を作っていたことに気が付いて唖然としたそうです。


この話は、過保護の弊害のたとえ話として経営の師匠から教えてもらいました。過保護とは、その人の課題(負うべき責任)を他の誰かが代わりにとることを言います。


課題とは、結末は主に本人に降りかかって、他の人にはあまり降りかからないときに、その問題を本人の課題といいます。


例えば、子供が8月31日になっても夏休みの宿題のポスターの宿題が終わってなくて、どうしようと言って泣いていたとしましょう。子供が先生に叱られたらかわいそうだといって手助けするのは過保護になります。


宿題をやらなくて、先生に怒られるのは子供です。親にはあまり結末は関係がありません。よって宿題は、子供の課題となります。子供から頼まれもしないのに、親が子供の課題に介入するとことは過保護になります。


そして過保護には、次のような弊害があるそうです。


①過保護にされている人が、より依存的になり、自分で解決する能力が育たない。

②「やらされている」という意識が強くなり少しでも手を抜こうとする

③世話を焼く人を「自分を縛る者」と感じ、反抗的になる

④自分で意思決定をしていないので、責任を転嫁するようになる

⑤子供(部下)の課題を引き受けているので、親(上司)が忙しくなる


浮浪者は、毎日食事を与えてくれるパン屋さんにどんどんと依存的になっていったのだと思います(①の状態)。それで自分で自立してお金を稼いで食事をするという能力を失っていったのだと思います。


パン屋さん(上司や親)が、いつもやってくれる手助けしてくれなかったら、浮浪者(部下、子供)はびっくりするほと反発する。過保護は、駄々っ子を作るのだと思います。

このように過保護と言うと、甘やかすことだと思われがちですが、「叱る」「教える」も過保護の一種だと言われました。子供に答えを与えることで、子供が自分で考えて、自分で解決することを学ぶ機会を奪っています。言い換えれば、答えを教えて甘やかせています。


この話を聞いて私もやったことがあったなぁと思いました。

ある新入社員が、入社したころに「これはどうしたらいいですか?」とよく作業方法を聞いてきました。そのたびにやり方を教えていました。3か月くらいたったころだったと思います。いつもの通り、どうしたらいいですか? と聞いてきました。

「そろそろ自分で考えて、そのやり方がいいかどうかを俺が判断させてくれ」と言いました。


そうすると、あの浮浪者と同じでした。見る見るうちに怖い顔になって

「何で教えてくれないんですか? 私が考えたら時間がかかります。時間がもったいないです!」と口調が強くなりました。


教えすぎることも、過保護なんだと思いました。過保護になっているかどうかの判断は、⑤の親(上司)が忙しいと感じるか? だそうですもし過保護になっているようなら、この課題は誰の課題なのだろうと課題を分離することから始めます。

そして、相手(子供、部下)に協力を求めるのか? 自分でやるのかを聞いてみて、その意思決定に従う。やってもらって、自然の結末(先生やお客様に怒られる。早くやってないと大変になる)を体験してもらい、相手に学んでもらう。自分で学んでいくことが大事なんだと私は思いました。


ただ、会社の場合は、その課題がうまくいかなかったときに、会社(上司)にも迷惑がかかるので、共同の課題にすることができます。その場合は、相手の許可をもらって、手伝うことができます。


私は過保護をやってないという方も、自覚がない人もいるそうなので、忙しくしていないかを他人に聞いて、自己点検されることをお勧めします(笑)。




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