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MQ会計を豊富な事例で学べる小冊子
「利益のルールを学ぶと赤字体質の会社が儲かる会社に変わる」が完成しました。MQ会計をたくさんの図表を使って、豊富な事例で解説をしています。初心者の方からとても分かりやすいと好評を得ています。 第一章を公開させていただいています。ご笑読いただけましたら幸いです。...
2022年9月1日読了時間: 6分


Uさん、20年間ありがとうございました
2月末に、20年という長きにわたり支え続けてくれたパートのUさんが、惜しまれつつも退職の日を迎えられました。20年前、彼女の採用面接の日のことを、私は今でも覚えています。 「前職で責任ある立場を任されたことが負担で、それが原因で辞めました。次は、あまり責任の重くない形で働きたいんです」彼女は少し控えめに、しかし正直にそう語りました。私は、採用するかどうかを少し迷いました。 しかし、言葉の端々に滲む誠実さに惹かれ、採用しました。それが、これほどまでに素晴らしい20年間の始まりになるとは、当時は想像もしていませんでした。 Uさんの仕事ぶりは、20年間、一貫して「丁寧で慎重」でした。毎朝、誰よりも早く出勤し、準備を整えてくれていました。この彼女の貢献で、仕事がどれだけスムーズになったことでしょう。私が「いつも本当に頑張ってくれていますね、助かります」と声をかけると、彼女は決まって「そんなことないです、まだまだここがダメなんです」と、照れくさそうに、しかし真剣に自分を律するように答えられました。 彼女にとっては「当たり前」のことだったのかもしれません。し
6 日前読了時間: 3分
「やらせてください」と「やります」の違い
皆さんは、自分の言葉が「誰」を向いているか、意識したことはありますか?先日、経営塾での出来事です。ある一人の参加者が「五誓の言葉」という過酷な研修に挑んでいました。これは、5つの誓いを試験官に届くまで全力で叫び、試験官が「伝わった」と認めるまで終わらない研修です。ただ大声を張り上げても伝わるものではありません。 私は別の研修を受けていたのですが、彼の必死な声が響いてきました。何度か挑戦した後に、試験官が「まだやりますか?」と問いかけました。それに対し、彼は即座に、「やります!」と答えました。その声を聞いた時、私は「心が折れていない。なんて頑張り屋なんだ」と感銘を受けていました。彼の合格を、心の中で確信していたのです。 しかしその時、傍らにいた師匠がぽつりと呟きました。「『やります』じゃないだろ。『やらせてください』だろ」。「『やります』という言葉は、自分が主体だ。自分がやりたいからやる、という独りよがりの決意に過ぎない。彼は、試験官が貴重な時間を割き、自分に付き合ってくれているという事実に、全く気がついていないんだ」。 師匠はさらに続けました。「
2月15日読了時間: 4分
MG研修での心に残る体験
人としての在り方を学ぶ あるMG研修で、私にとって忘れられない出来事がありました。参加者の方から「人としての在り方」を教えていただいたのです。この体験は、私の心に深く刻まれています。 今回、初めてMGに参加されたお二人がいらっしゃいました。慣れないルールの中で何度も戸惑い、同じ失敗を繰り返す場面もありました。そのたびに私は講師として、「何度も言っていますよ」「ルールにのっていません。勝手なことはしないでください」と思わず言葉が強くなってしまい、徐々に厳しい口調になっていったのです。 その時の私の心の中には「正論」という名の武器がありました。「手順通りにやることが正しいこと」「ここで厳しく指摘して気づかせることが、この人のためなのだ」と考えていました。しかし、私はその考えに囚われていたのです。 以前のニュースレターで、ゴミ拾いを通じて気づいた「自分の傲慢さ」について綴ったことがあります。「良いことをしている自分は正しい」と思い込んだ瞬間、人は周囲への敬意を失い、独りよがりな基準で相手を裁いてしまいます。あの時、私はまさにその「傲慢」に陥っていました
2月1日読了時間: 3分
「いいことをした話」にならない理由
私は、マイルールとして、公衆トイレを使わせていただいたときは、自分の体が触れるところ(便座)を拭いてから出ることにしています。便器の中まできれいにするつもりはありません。そこまではルールにしていません。やっている理由は「使わせてもらったから、元に戻す」という感覚です。 先日、急いで入った公衆トイレで、便器の中に汚物が付いているのを見ました。正直、少しげんなりしました。それは明らかに、私のマイルールの範囲を超えています。便器の中まできれいにすることは、自分に課していません。「これは自分の仕事じゃない」「ここまでやる必要はない」と、頭ではすぐにそう思いました。 そう思いながら用を足していたのですが、「これはルールじゃない」と思えば思うほど、意識はそこに向いてしまいます。水を流したあと、もう一度便器を見たときに、なぜかそのまま出ていく自分に引っかかりを感じました。誰に見られているわけでもないのに、「逃げるのか?」と問われているような気もしました。 少しの間、そこで立ち止まりました。正直に言うと、めんどくさいという気持ちの方が強かったです。別にやらなくて
1月15日読了時間: 3分
今年の挑戦
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。 今年の挑戦は、スカイダイビングにしました。私は、「一年に一つ、新しいことに挑戦する」ということを続けてきました。人から見れば小さなこともあれば、少し変わったこともあります。富士山に登る。100kmを歩く。極寒の五十鈴川に浸かる。ニュースレターを発行。バンジージャンプを飛ぶ。P/Lの小冊子を作る。複写はがきを一万枚。フルマラソンを走る。そして昨年は10卓MGに挑戦しました。 それぞれ内容も重さも違いますが、共通しているのは「その年を象徴する一つ」がはっきり記憶に残っていることです。不思議なもので、「あの年は何をしていたか」と振り返ると、その挑戦が自然に浮かびます。 そのときの努力や準備、周囲とのやり取り、終えたあとの感覚まで一緒に思い出されます。楽しかったことも、しんどかったことも含めて、その年を代表する出来事として強く記憶されます。 もしこの「一年に一つ」を意識していなかったらどうなっていたでしょうか。仕事に追われ、日々の予定をこなして、気がつけば一年が終わる。そんな年が続いていた
1月1日読了時間: 3分
「会社は大丈夫か」と声をかけられて気づいたこと
私の父は、私が中学生の時に脱サラして起業し、そして私が高校1年の冬に倒産しました。母が涙ながらに「このお金を隠しておいて」と新聞紙に包まれたお金を渡してきた光景は、今でも鮮明に覚えています。 倒産後、数年して父は、再び商売を始めました。しかし大学生だった私は、「あれだけ迷惑をかけておいて、また商売をするのか」と怒りがこみ上げ、父の行動を受け入れることができませんでした。実家にも、できるだけ帰らないようにしていました。 そんな背景があったため、私は卒業後は安定を求めて大企業へ就職し、「経営には二度と関わらない」と心に決めていました。 ところが就職して数年後、母から「お父さんの顔が真っ黄色やねん…」と今にも泣き出しそうな声で電話がありました。急いで病院に行くと、父は弱り切った姿でベッドに座っていました。すぐに大学病院へ転院し、その夜には母から「今から緊急手術」という連絡が入りました。 母は病院に付きっきりになり、会社を継ぐ予定だった弟が急きょ退職し、ひとりで会社を支えることになりました。しかし、引き継ぎも経営の知識もない状態で背負うには、あまりにも重
2025年12月15日読了時間: 3分