義父からの伝言?
- 辻 敏充
- 2024年8月1日
- 読了時間: 3分
義母は、3年ほど前から、義父は2年ほど前から同じ老人ホームに入所をしていました。コロナもあり、なかなか会うことができませんでした。今年の正月に、義両親に会いに行きました。義母は、徐々に体の機能が失われていく難病を発症していました。この時は、声は出ません。うなずくこともできません。耳元で話をすると、顔には反応がありました。病気の進行は、かなり進んでいるように思いました。
そのあと、義父に会いに行きました。肺に持病があり、鼻からチューブで酸素注入を行っていましたが、それ以外には、大きな疾病もなく、また、食欲もあり、体調もよさそうでした。
3月になると、義母の調子が悪くなり、ホームから病院へ転院することになりました。しばらくして、義父と一緒に義母の病院へお見舞いに行く事にしました。お見舞いの前に私たち
家族と義父と一緒に、食事をしました。息子と楽しそうに野球の話をしていました。
それから、義母の病院に行きました。義母は、こちらの言ったことに対して、何かしらの反応がありました。正月から比べるとかなり弱っていました。それでも反応があるから大丈夫だと思っていましたが、4月の初旬に急に体調を崩されて、数日で亡くなられました。
葬儀には、義父も参加し、当初は喪主挨拶をすると言っていましたが、体調がすぐれないということで妻が代わりに挨拶をしました。
また、四十九日までの7日ごとの法要にも参加をしないと言いました。義父と義母はとても仲が良かったので、義母の死が悲しく、辛いのだろうと思いました。
4月末に、義母の老人ホームの引き上げに行き、義父に会ってきました。いつも通りで元気そうでした。6月になると、義父の調子が悪い時があると妻が言いました。全く、信じられませんでした。1か月ちょっとで、そんなに体調が変わるとは思えません。
しかし、肺の調子が悪くなり、義父もホームから病院へ転院することになりました。お見舞いに行くと、鼻に酸素注入のチューブがありましたが、話はできましたし、元気そうにも見えました。
6月中旬に、東京でMGのインストで行く前に、お見舞いに行きました。話をすることは、大変そうで、こちらの言うことに、うなずいたりすることで、コミュニケーションが取れていました。4月にお会いした時よりは弱っているように見えました。
義父に「東京から帰ってきたら、また来ますね」というと、右手を布団から出してきました。握手を求められているようでした。初めて義父と握手をしました。病人とは思えない力強いものでした。これなら大丈夫だろうという思いと、もしかしたらこれで最後なのかもしれないという思いが交錯しました。
それから、2週間ほどで義父も亡くなりました。あの時の握手は、私の中でいろんな意味を与えてくれています。義父に安心してもらえるように頑張りたいと思います。
また、妻は3月から両親の看病や相続で、実家と病院の往復をしながら、会社の仕事、家事もきちんとやりきっていました。彼女が一番つらく、また体力的にもきついはずですが、なすべきことを成すを実践している姿に尊敬をしました。妻にも恥ずかしくないように、私もなすべきことを成していきたいと思います。
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