義務と義理
- 5月16日
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先日の勉強会で、「義務と義理」というテーマの話がありました。まず「義務」とは何か。簡単に言えば、「やらなければならないこと」です。仕事であれば、契約で決まっていること、給料をもらっているから、なすべきこと。「これは自分の義務か、義務ではないか」をまず判断して、義務であればやる、義務でなければやらない。そういう考え方です。
そしてこの考え方の根底にあるのが、損得勘定です。義務かどうかを判断する基準が、結局のところ「損か得か」「やらないと困るか、やらなくても問題ないか」になっている。
義務で動く人は、必要最低限のことはこなしますが、それ以上はしません。言われたことはやるが、言われていないことはやらない。頼まれたことはやるが、頼まれていないことはやらない。そういう生き方だと教えていただきました。
では「義理」とは何か。これは少し違います。義理とは、これまでお世話になった方への恩を感じて動くことです。「あの人にはこういうことをしていただいた」「あの縁がなければ今の自分はなかった」という事実をしっかりと認めた上で、「だからこそ、自分にできることをしたい」と動くことです。
義務が「やらなければならないこと」であるとすれば、義理は「やらずにはいられないこと」と言えるかもしれません。
誰かに見られているからでも、褒められたいからでもなく、受けた恩に対して自分の中から自然と湧いてくる行動。それが義理です。
だから義理で動く人は、言われなくてもやる。頼まれなくても気づいてやる。必要最低限を超えて動く。そういう生き方になります。勉強会でこの話を聞いたとき、胸が痛かったです。
振り返ってみると、自分は義務で動いていることが多いと思いました。はがきを書き続けていますが、「書くこと自体が目的になっていないか」と感じることがあります。ご縁のあった方への本当の感謝から書いているのか、それとも「書いている自分」に安心しているだけではないか。
縁を大切にする。率先して損を引き受ける、面倒なことを引き受ける。そう学んでいますが、実際にそういう行動がどれだけやっているのか。なかなか胸を張れません。
もっと言えば義務すら果たしているのか? という気持ちになりました。そんな私が、「よし、今日から義理で生きよう」と決意したところで、そう簡単に変われるものではないとあきらめの感情がわいてきました。
そんなとき、手に取った鍵山秀三郎さんの本に、こんな言葉がありました。「(約束)畳のヘリを踏まないというような些細なことを守り通すことが人生では大切なことです」
私は、相手に対して、お返しをすることや損を引き受けることが義理を果たすことだと思っていました。
もしかしたら、そういったことではなく、誰もが見過ごすような些細なことを、黙って、淡々と、一生涯守り続ける。自分との約束を守るというその積み重ねが人としての地力をつくり、いざというときに義理を果たす力になるのではないか。そう感じるようになりました。そういう考えに至ってから、いくつか小さなことを始めました。
一つ目は、定期的にランニングを続けること。健康のためでもありますが、それ以上に「自分との約束を守る」練習だと思っています。他人への義理を語る前に、まず自分に約束したことを守れる人間でありたい。
二つ目は、ホテルに泊まった際、備品をなるべく使わないこと。環境のため、ホテルのスタッフの手間をかけないために。本当に小さな貢献ですが、続けることに意味があるように思います。
三つ目は、対向車が来たとき、こちらから先に止まって、さっと道を譲ること。ほんの一瞬の行動ですが、その一瞬を意識的に続けることに意味があると思っています。
義務か義理か。その問いに、まだ胸を張って答えられる段階ではありません。それでも、凡事徹底という言葉を道しるべに、今日も小さなことを丁寧に積み重ねていきたいと思います。今日も走ります。
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