父に捧ぐ
この週末は、父の日ですね。今回は、なかなか父親に直接言いにくいことを言葉にしてみました。
「あんた、このお金を持っておいて。子供の部屋にまで借金取りはこないだろうから、これを部屋に隠しておいて」と言って、母が新聞紙に包まれたお金を私に手渡しました。50万くらいだったかもしれません。
「あんたも分かっていると思うけどお父さんの会社、今日倒産したの。何とかなるとは思うけど……」と涙ながらに部屋から出ていきました。
どこの隠すのが一番分かりにくいだろうと考えて、ベットを動かして畳の隙間にお金を隠しました。35年以上も前のことです。当時は、債務者が時間も関係なく家まで取立に来ると言われていた時代でした。
私が中学生のころに父は脱サラをして商売を始めました。営業一筋の人だったので売る力はあったようです。社員さんが徐々に増えていました。そのうちの一人の営業マンが商品を横流ししていました。父が状況を知ったときには、かなりの金額になっていたようです。いろんな人に頼み込んで再建する方法を探したようですが、最終的には倒産することになりました。
私が高校一年の冬でした。これからどうなるのだろう? と漠然とした不安がありました。毎日、朝早くから遅くまで両親はどこかへ行ってましたが、私たち兄弟のお弁当や夕食は作ってくれていました。日常に大きな変化がなく、数週間がたちました。
母親が部屋に来て「この前預けていたお金を返してくれる?」と言ってきました。詳しいことは聞きませんでしたが、ようやく終わったんだなぁと思いました。この時、家族にこんな思いをさせる商売は絶対しないぞと誓いました。
大学に入学をして京都に下宿をしていました。一年生の冬に、母親から電話がありました。「またお父さん商売始めるねん」
倒産して家族や周りの人に迷惑をかけておいてまた商売やるってどういうこと?と父のやることに怒りが沸いてきました。その反発心で、父の仕事が忙しかったと思いますが、できるだけ実家に帰らないようにしていました。
卒業の時も事業は危険なものにしか見えず、父の会社を継ぐ気にはならず、安定性を重視して就職は大企業にしました。
それから4年たった夏です。母から電話がありました。「お父さんの顔がびっくりするほど黄色いの。入院したの!できるだけ早く帰ってきて」
週末に実家に帰りました。すぐに母と一緒に病院へ行きました。ベットに弱弱しく座っている父の姿がありました。
「どうしたん?」「肝炎やねん」
顔や手足が黄色になっているだけでなく、白目の部分まで真っ黄色でした。
主治医に話を聞きに行きました。「肝炎だとは思いますが、私は肝臓の専門ではありません。もしご家族がご心配なら大学病院を紹介しますが、どうしますか?」「すぐに転院の手続きをしてください」と即決しました。緊急の連絡があるかもしれないと思って会社の寮に帰ったらすぐに携帯電話を購入しました。
週明けの月曜日に大学病院へ転院しました。その夜中に携帯が鳴りました。「お父さん劇症肝炎らしい。今から緊急手術なの!」母が泣いていました。
劇症肝炎とは、ウイルスによって急激に肝機能が落ちて、体内の代謝ができなくなる病気です。体中に毒素が回って耐えきれない人は亡くなります。乗り越えられたら通常は元に回復するという病気です。当時は、死亡率の高く難病指定をされていました。
翌朝、病院へ行くと、「手術は成功した」と母親が言いました。これで山は越えた。後は肝細胞が再生するのを待つばかりと思いました。
それから母は父の病院で付きっきりでした。会社のほうは、継ぐことを決めていた弟がすぐに退職して戻り、営業や全体の指示をすることになりました。製造は、従業員さんがいるので日常の業務は対応できそうでした。お金の件だけは大変そうだったので、私が、月末に会社に帰って集計をして支払いの手続きをしたり、経理の仕事だけはやっていました。
4か月ほどしてもなぜか父の容体は良くなっていきません。現状を主治医に聞くと「原因は分かりませんが、肝臓以外に、心臓が大きくなり、肺に水がたまっています。持病の結石で尿が出にくくなっていて、最悪人工透析も必要になるかもしれません」
今後の治療方針を聞くと、全部に効く薬はなく、一番悪いところに対して投薬します。対処療法しかないようでした。原因が分からないのでは、さすがにダメかもしれないと思いました。
相変わらず、母はほとんど病院です。引継ぎもなく弟一人で、この会社を切り盛りするのは大変だと思いました。私も会社を退職することにしました。大学生のころのような腹立たしさはありませんが、正直に言うと父親に迷惑をかけられたような気持ちはありました。
それから2ヶ月ほどして、心臓と肺が悪くなっていたのは院内感染が原因だと分かりました。原因が分かってからは、薬が変わり体が良くなっていきました。一年以上かかりましたが、無事退院できました。
父の会社に入った私は、会社を倒産させないように会計の勉強をしました。それだけでは不安で経営について学びました。マネジメントゲームと言われる経営のシミュレーション研修は講師になるまで学びました。
会社員の時、仕事がうまくいかなかったら、上司や環境のせいと結果責任から逃れていました。あのまま会社員を続けていたら安定はしていましたが、自分で挑戦することもなく、言われたことをこなすだけで、あまり面白くない人生だったかもしれません。
経営者として、うまくいかないことが多々ありましたが、やったことの手ごたえは感じています。上手く行った時の喜びは格別です。会社のかじ取りをする充実感を味わっています。
勉強会で出会う本気で経営をしている人との経営や人生を語り合う楽しみを知りました。これは想定外の面白さでした。
さらに、会社に戻ったころに勉強した会計やマネジメントゲームのおかげで、講師として人前に立って話をさせていただいています。大学生のころの私には想像し得なかった人生になっています。
今なら父親に「おやじのおかげで、思いもよらず人生が、味わい深いものになったよ。ありがとう」と言えそうです。
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