巨星(後藤昌幸氏)墜つ
- 辻 敏充
- 2022年5月15日
- 読了時間: 4分
更新日:8月5日
2022年5月13日、滋賀ダイハツ販売株式会社・会長の後藤昌幸氏(1933年生)が逝去されました。私にとっては、まさに「経営とは何か」を教えてくださった、人生の恩師と呼べる方でした。
後藤会長は32歳で、赤字で倒産寸前だった滋賀ダイハツ販売の社長に就任されました。自らの手腕で見事に会社を再建された後、その実績が認められ、今度はメーカー直轄の兵庫ダイハツ販売の社長に抜擢されます。
当時の兵庫ダイハツは、累積赤字10億円を抱える、まさに“ガタガタの会社”(ご本人の表現)だったそうです。そんな状況の中、わずか3年で赤字を完済し、5年後には5億円以上の黒字を出すまでに回復させました。まさにV字回復。実行力と信念に裏打ちされた経営そのものでした。
経営の第一線を退かれてからは、自らの経験を伝える講演活動や、次世代経営者を育てる「輝き塾」を主宰されました。私が後藤会長に出会ったのも、その輝き塾がきっかけです。
1999年、私は父の会社を手伝いながら関連事業で起業しましたが、当時は「経営」というより、毎日の作業をこなすことに必死でした。将来に不安を抱きながらも、何が問題なのか、何を学ぶべきなのかも分からない。そんな時、ある社長から「経営を学ぶなら輝き塾がいい」と紹介いただき、2003年3月に初めて参加しました。
当時70歳だった後藤会長は、背筋をぴんと伸ばし、言葉は明瞭で物腰は柔らか。まさに品格のある「経営者」そのもので、すぐに魅了されました。会長の著書もすぐに購入し、夢中で読みました。
「二位以下はすべて敗け」「教育はすべてに優先する」「赤字は悪」――会長の経営哲学は、力強い言葉とともに明確に示されており、その信念と実践力に深く感銘を受けました。同時に、「謙虚さ」「倹約」「ぶれない姿勢」といった人間的な姿勢も、繰り返し説かれていたのが印象的です。
また、兵庫ダイハツで業績アップを求めるあまりにやってしまった自分の判断の誤り。能力を見抜く力がなくて、間違った人事をしてしまい、部下を不幸にしてしまったことなどマイナスの部分も書かれていました。包み隠さず正直に記されていたことにも、強く心を打たれました。普通なら伏せるような部分まで誠実に語られる姿勢に、私はますます会長を尊敬するようになりました。
お会いした際、会長がこうおっしゃったことがあります。
「リーダーは布団の寝起きと同じ。起きるときは頭(上)から、寝るときは足(下)から。上に立つ者こそ、朝一番に出社して最後に部下を見送るんや。分かりやすいやろ?」
てっきり会長の言葉かと思いきや、実は三洋電機副社長であり、会長の師匠である後藤清一氏の言葉だったそうです。会長はその教えを素直に受け取り、忠実に実践されてきた方でした。
昨年はコロナの影響で、恒例だった会長の誕生日会が中止となり、塾生たちがメッセージを贈ることになりました。私は「米寿おめでとうございます! 長くお付き合いさせていただき、本当に感謝しています。いつか“後藤会長のおかげで○○できました!”と報告させてください。それまで長生きしてくださいね」と書き添えました。
その報告が直接できなくなったことは、本当に残念です。ただ、今もなお、会長の教えは私の中に生きています。これからも「ワシの教えのとおりや」と言っていただけるように、素直に実践し続けていきたいと思います。
心から感謝を込めて――
後藤昌幸会長のご冥福を、心よりお祈りいたします。


<追伸>
「ご家族の意思により、ご家族葬のため葬儀参列・香典・弔電・供花、すべてご辞退されておられますので何卒ご了承願います」という連絡がありました。
それでも、会長と最後のお別れがしたくて、ご家族にもご迷惑をかけないようにと、ご葬儀の早朝に会長に会いに行ってきました。会長からは「MG」「ランチェスター戦略」「複写はがき」「トイレ掃除」など経営に必要な知識を教えていただきました。それに対する感謝の言葉と私の筆が遅くて小冊子の完成が間に合わずに残念ですと思いを直接伝えることができ、うれしかったです。
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