その行動を選んでいるのはあなた
経営の師匠の下で勉強をさせていただいていますが、その中で苦手な研修があります。「五誓の言葉」という研修です。
次の5つの内容を試験官に「本気」で伝える研修です。
1つ、常に目的を明確にせよ。行動を具体的にし、方法を工夫せよ。一度きりの人生に悔いるところなかりしか。
1つ、人との出会いを縁としろ。一期一会に悔いるところなかりしか。
1つ、人の話を真剣に聞け。心のキャッチボールに悔いるところなかりしか。
1つ、不完全な自分と仲良くしろ。そして信じろ。自分の優しさ、可能性に悔いるところなかりしか。
1つ、人の優しさに感謝して生きろ。そして感動を返せ。今日まで生きてきたことに悔いるところなかりしか。
この「本気で伝える」というところがミソです。やったことがない方に、イメージできないと思いますが、何度も試験を繰り返すことで、徐々に噴けてきます。やってみると、さっきよりも自分の「本気」が上がっているのが分かります。これが限界、出し切ったと思っても、試験官の方に、もっと出るはずと言われるとこれが出るのです。
自分の「本気」を思い出させるための研修だと私は理解しています。五誓の言葉がメインではないので説明はこれくらいにします。単純に言う(本来の目的ではないですが)と大声を出す大変な研修です。
「今月の課題は五誓の言葉です」と言われた瞬間、病み上がりで嫌だなぁという感情がわいてきました。とはいえ、課題で決まったものは仕方がないです。試験に臨みました。何度か挑戦しますが、不合格が続き、もう出し切った(実はさらに出し切ることができ合格)。病み上がりで、もうこれ以上を出すのは、無理という感情がわいてきました。私はこの感情に従って、何度もボロボロな感じで試験室から出ていきました。
話は変わって、先日、師匠が自転車で走っていると、コンビニから出てきた車が一旦停止せずに、道路に出てきたために車に当たって、自転車が転倒し、手を骨折し、顔もけがをされました。事故を起こした車はそのまま行ってしまったそうです。
こうなったら、皆さんは、どうしますか?師匠は、警察も呼ばず、ご自身で家まで自転車を押して帰ったそうです。そのあとの対応は、このように書かれていました。
顔の血を見て家族がビックリするといけないので、最初に洗面所で顔の血を流して、妻に事故に遭ったことを告げ、夕食を食べました。そのあと複写はがきを書いて、妻と晩酌をしてから寝ました。この日に書いたハガキが届く人がいると思いますが、その字はいつもと少し違っていると思います。
骨折している手で書いたのでボールペンに力が入らなかったのです。しかし、書けないかと言ったら書けます。事故に遭っても時計は止まってくれませんし、大騒ぎしても事態は変わりません。できるだけ人を巻き込まずに、自分の出来ることをするしかないと思うのです。
師匠から、たとえ話で、交通事故をしたときに、相手が普通な人なら怒る。だけど、怖そうな人が乗っていたら、怒らないでしょ。多くの人がその行動(怒る)をしたのは、感情(腹が立つ)のせいにしているけど、この例のように、相手によって対応を変えている。実は、感情がそうさせているのでは、行動を選んでいるのは自分自身と教えていただいています。
それなのに、私は感情のままに行動しています。師匠は、感情に支配されずに、自らのなすべきことをされています。感情に左右されず、周りから見られている事、周りの人に迷惑をかけないことを意識して、最適な行動を選んでいきたいと思いました。
事故にあっても、自分の時間を自分の人生を刻むことに時間を使う方が幸せだと思ったのですね。
死ぬような重体だったら違ったかもしれませんが、この師匠にとっては、事故処理をしていること自体が、無駄だと思ったのだと思いました。限りある時間を何に使うのか?
私ももっと有効に時間を使っていきたいと思いました。
色々な選択があってそれぞれ大事にするものによって違ってくるのですね。
これを素晴らしいと感じられることは「異常」です。交通事故は、警察に連絡することが義務づけられています。痛くても我慢していることが美徳なのか、自分が死んで相手がひき逃げで捕まることを望んでいるのか、理解ができません。まず決められたとおりに警察を呼んで交通事故処理をする、その上で相手を許すかどうかを決める、それでも遅くありません。事故したのは、相手のせいではありません。双方に原因があります。
適切?何が適切なのでしょうか。
頭を打っているかもしれないのに妻と晩酌?
字もまともに書けないような状態なのに?
全く理解できません。
すぐに病院へ連れて行きます。
事故にあっても貴方の時計は止まらないか知りませんが家族の時計は止まります。