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ひたむきな生き方とは

フィクションです。


キーーーーーー!!車の急ブレーキ音が聞こえたと思った瞬間、体が軽くなった気がしました。どれだけの時間がたったのか分かりません。目を開けていくと白いものが見えてきました。「一郎の目が開いたわよ」と母の喜ぶ声が聞こえました。顔を横にしようとしても動きません。手も足も動きません。幸い口だけが動きました。


「俺どうなったの?」

「車にはねられて、本当に心配で…」と母が泣いていました。見えているのは病院の天井か。麻酔のせいか、意識はぼんやりしていました。


僕は、高校2年生の林一郎(仮名)。早朝、クラブの練習に行こうと自転車で学校へ向かう途中に無免許運転の車にはねられました。


3か月すると、ギブスが外されました。久ぶりに手足を動かせる喜びが沸いてきました。


医師が「ゆっくりでいいからね。じゃ手から動かしてみよう」右手はゆっくりと動くのですが、左手が思うように動かないのです。「これでいいよ。それじゃ足を動かしてみよう」同じように左足が言うことを聞きません。


「ギブスを外したばかりだかね。焦らずにいこう」と先生が言ったのですが、僕は、左半身がこのまま動かなくなるような気がして怖くなってきました。


翌日から、リハビリが始まりました。数週間すると、右手、右足、左手はある程度コントロールできるようになってきました。しかし、左足がほとんど言うことを聞きません。なかなか良くなっていかない左足にいら立ちを感じてきました。


医師に「リハビリしたら、この左足も良くなるんですか?」と怒りを交えて聞きました。「林君、事故の影響で……」


この後医師が何を言ったのかは覚えていません。僕のほほには涙がつたっていました。あれから10年、病院に通い続けています。


相変わらず左足はあまり言うことをきいてくれません。リハビリをやっても左足が良くならないことに諦めを感じてきていました。「来週のリハビリは、何曜日に行く?」と聞く母に

「もうリハビリに行ったって変わらないよ。母さんもそう思ってるだろ!」と言ってしまいました。


心の方が痛んできたのかもしれません。しばらくして、母が先生を連れてきました。この先生は「杉井」と名乗りました。


「林君、10年リハビリをしているだってね。その努力は立派だと思うよ。私は医者ではないので君の体を治してあげることはできない。でも幸せになることを応援することはできると思うよ」 


何を言っているのか? この人は。元の体に戻ることが幸せなんだよ! と思いました。


さらに「10年リハビリしてきたね。あと何年やったら元の体に戻ると思う?」と聞かれました。「うるせぇなぁ」と答えましたが、心の中では図星だと思いました。


「体が治ってから幸せになろうとしてたら、一生幸せになれないかもしれないね。それよりもこの体のままで幸せをつかむために努力してみないか?治ってから就職するのではなく、その体で就職して結婚するんだよ。その応援をさせてもらうよ」


今まで出会った人は僕の体のことを聞くたびに「大変だったね」「頑張っているね」という優しい言葉をかけてくれますが、それだけです。


杉井先生は「こんな僕でも就職できる。結婚する」と言ってくれました。この先生にかけてみようと思いました。 「まずは仕事からだね。大変だと思うが面接に行ってみよう」と言って先生は、僕につきっきりで履歴書の書き方を教えてくれました。


その上、面接のシミュレーションをしてくれました。後から分かったのですが、先生は経営者でもありカウンセラーでもある二足の草鞋を履くスーパーマンでした。


翌日から面接へ行きました。障害を負った理由を面接で話すと、面接官は同情をしてくれますが、なかなか採用には至りませんでした。


何度も断られるので少し滅入ってきて先生に電話をしました。「何社も面接に行きましたが全部断れました。どうしたらいいですか?」「林君頑張っているね。ところで、何社面接に行ったの? 求人を出している会社に全部面接に行ったの?」さすが経営者です。僕の甘さは見過ごされていました。


障害を持った僕を雇ってくれるところはなく、面接に行っては断られるを繰り返していました。先生のアドバイスで、面接に行ってきた会社の数をカレンダーに記入するようにしました。自分の努力が目に見えるようで少しやる気になってきました。


ある会社に面接に行くと「正社員では無理だが、パートならどうだ」と言われました。もう嬉しくてうれしくて涙が出ました。先生に連絡すると「よかったね」と言って泣いてくれました。


入社してから2か月ほどすると「仕事が遅い林と同じ時給なんてやってられない」「あんな使えないやつなんで社長は採用したんだ」という声が聞こえてきました。


先生に「仕事が遅く、他の人に迷惑をかけるので、この会社を辞めたいと思います」と涙ながらに電話をしました。今日の先生は一緒に泣いてくれません。


「体が動かなくて、仕事が遅いことは分かっていたことでしょ。辞めて他の会社に行っても同じことは起こるよ。その体でできることをしてみよう!これからが本当の就職活動だよ」「どうしたらいいですか?」「仕事を頑張って認められることだね。そのために一番早く出社する」


翌朝、先生に言われた通り、一番に出社をしました。まず自分の仕事の準備をしました。これだけだと時間が余ります。何をしようかと考えて、会社の掃除をしました。


「林君、早いね」「おはよう」「朝から掃除感心だね」と声をかけてくれます。朝から気持ちが良いです。掃除だけでなく、同僚の仕事の準備も始めました。


仕事には慣れましたが、スピードは速くなりません。左足さえまともならと何度も思いましたが、この体で勝負するしかありません。仕事でも認められるように準備だけでなく、朝からできる仕事をやるようにしました。時間さえかければ仕事量をある程度こなせるようになりました。


ある朝、社長から「手がすいたら、俺のところに来てくれ」と言われました。社長のところへ行くと「朝から掃除ありがとうね。仕事の方も頑張ってくれているね。来月から林君に正社員になってもらうつもりなんだ。受けてくれるよね」


「どうして仕事の遅い私なんかを正社員にするんですか?まだまだ、みんなの仕事量には達していません。まだ迷惑になっています」


「実は、林君を採用しようかどうしようか本当に迷ったんだよ。今は、君を採用して本当に良かったと思っている」


「ありがとうございます。そう言っていただけると嬉しいですが‥」


「以前は、林君の耳にも入っていたと思うけど、相手のできないことを指摘する。人と比べて大変だったら時給を上げて欲しいと文句の多い職場だったよ。林君の献身的な働き方で、皆が協力的になってきた。林君のおかげで優しい会社に変ったよ」


何も言えません。ただただ涙がほほを伝っていきました。先生に連絡をすると「よく頑張ったね。林君は、必要とされる人になったんだよ。それは仕事の能力ではないよ。ひたむきな生き方なんだよ。この生き方は皆の鏡だよ」と言ってくれました。


先生の「頑張れば」という言葉を信じてあきらめずに実践を続けた結果だと思います。「よくやり切った」と自分を褒めてあげたいです。(終わり)


このお話は、師匠の杉井さんが体験されたことです。初めてこのお話を聞かせてもらったときに、自分がつい人を能力で判断していること。能力や性格のせいにして私は苦手なことから逃げていることに気づかされました。最近、横柄な態度をしたことがあったので自分への戒めで小説風に書いてみました。


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