アルジャーノンに花束を
「アルジャーノンに花束を」という本を経営を勉強する会での課題図書になりました。その感想を述べさせていただきます。
本のあらすじは、医師がネズミの脳に手術をして知的障害を解決する研究をします。たくさんの実験の結果、アルジャーノンというネズミが天才ネズミになります。その技術を人間に使うことにします。
被験者は、重度の知的障害があるチャーリーという男性です。彼は子供のころから、障害のために母親から虐待をされていました。職場の同僚からもその障害のために馬鹿にされることがありました。母から褒められたり、友達から認められるために、知能を高める手術を受けることを決めます。手術の結果は、チャーリーが望んでいたように知能が高まっていきます。
知能が高まったことで、周りの人が、以前の障害があるチャーリーを人として認めてなかったことに気が付きます。そのことに、憤りを感じ、チャーリーは、以前とは態度が変わっていきます。その結果として、周りから人が去っていき、孤独になっていきます。天才ネズミのアルジャーノンが、そのころから知能が下がっていき、最終的には普通のネズミになって亡くなります。
天才となったチャーリーはこの手術が失敗だったことに気が付きます。彼が予想したとおりに、知能が下がっていくと、人間性を取り戻していきます。周りの人は以前のようにチャーリーに対して優しく接してくれるようになります。チャーリーの目的は、友達をいっぱい作るに変わっていきます。
手術前のチャーリーが求めていたのは、知識や知恵です。それを高めたいという気持ちはよくわかります。ただ、知能を高めた後のことを考えず(もちろん考えられる能力はないですが)、手術を受けたことで、彼が本当に求めていた幸せから遠ざかったように思いました。
知能や能力が高くても人に対して、どのような態度をするのかによって人が集まってくるか、人が去っていくのかが決まると思いました。知能をうまく使えば有益ですが、他人を攻撃したり、自己中心的になる危険性があると思います。そして他人を攻撃してしまった結果は、孤独になりやすいと思いました。
私に置き換えれば、チャーリーが求めていた知能は、お金ということができると思いました。知能が高くても(お金がたくさんあっても)幸せになれるとは限らないということを示唆しているように感じました。
お金もそれ自体に、良いも悪いもないと思いますが、お金を得るか、失うかで態度が変わってしまうという意味で知能とお金は似ていると思いました。チャーリーはお母さんに褒められたい。友達と仲良くしたいと思って、手術を受けます。だけども傲慢となり、孤独となり目的は果たせません。
私も「幸せになりたい」と言いますが、ピンチな時には、お金を優先することがあります。幸せのために、適切な行動をとっているのか? と問われると、チャーリーも私も遠回りをしていると思いました。
最後にチャーリーが願ったのは、「アルジャーノン(天才ネズミ)のお墓に花束を」と、同志であった天才ネズミのことでした。この行為は、以前の知能は低かったかもしれませんが、優しさあふれ、人に好かれるチャーリーに戻ったのだと思います。
私は、自分がピンチな時は、お金を優先することがあります。私は、真の目的は幸せなのですから、お金を集めることではないです。こだわっているお金を、他人のために使うという行為。人に譲るという行為を増やしていき、幸せに近づいていきたいと思います。
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