正しさの背後にあるもの
- 辻 敏充
- 7月1日
- 読了時間: 3分
私は、経営の勉強会に参加をしています。この勉強会では受講者が実践したことや学んだことなど経営に役立つことを、順番に一週間のブログを書くという実践があります。書いてもらったブログに対して受講者が毎日コメントをしています。
先日、塾長から明日からは勉強会に参加している人のみコメントをしてくださいというアナウンスがそのブログでありました。
コメントをしているのは、ほとんどが受講者ですが、10年間勉強会に在籍をされて卒業したAさんや10年以上前からコメントされているBさんがいました。その方々が急にコメントできなくなったのです。
塾長の方針転換の理由が書いてなく、私は「今までコメントしていた人を締め出すのは、なんで?」という疑問や怒りに近い感情がわきました。モヤモヤした気持ちが抑えきれずに、Aさん、Bさんに、「今回の方針転換について塾長から私たち受講者に説明はありません。理由を聞かれていますか?」という内容のハガキを書きました。
しばらくすると、Aさんからは、「卒業してからお金も支払いしていないのに、勉強させてくださりありがたく思っています。本当に感謝しています。(略)」と、またBさんからは「課題の実施などで皆さんとは合わないことを行っていたりして混乱させたのではと申し訳なく思っています」と返信をいただきました。
Aさんは、ブログのコメントをさせていただくことで、Aさんが得ている(学んでいる)ことを認めてられていて、とても謙虚な姿勢だと尊敬をしました。
Bさんは、自分のコメントが、受講生とは違っていて、そこに問題があったのではないかと自問されていることに頭が下がる思いでした。
今回の一件で、私は大切なことに気づきました。それは「自分の立場や感情を一度脇に置き、相手の立場に立って考える姿勢」です。AさんやBさんの返信を読んで、私は「自分はなんと傲慢だったのか」と反省しました。自分が「正しい」と信じる立場から物事を見ると、相手の意図や背景が見えなくなってしまいます。
塾長にも何かしらの配慮や意図があったはずで、それを想像する努力をせず、「説明がないのはおかしい」と一方的に判断していたのです。私がすべきだったのは、まず「何か事情があるのかもしれない」と想像すること。そして、怒りの感情ではなく、純粋な疑問や理解したいという気持ちで行動することでした。
今回の経験を通じて、自分の「正しさ」にこだわることが、学びの妨げになるということを実感しました。私が感じていたモヤモヤの根底には、「自分の意見が正しい」という気持ちがありました。
人は、自分の正当性を主張することで自分を守ろうとします。しかし、その傲慢さに気づき、謙虚になることで、初めて自分自身を変えることができるのだと思います。学びとは、知識やスキルを得ることだけではなく、こうした素直さを身に着けることだと思います。
そして、この気づきを次の行動にどう活かすかが、私の成長に直結するように思いました。今後は、感情が沸くことは仕方がないとして、感情に支配されずに、相手を理解しようとする姿勢を大切にしていきたいと思います。今回の出来事は、私にとって大きな内面の学びでした。
コメント