「黒川の女たち」からの学び
- 辻 敏充
- 8月15日
- 読了時間: 4分
「黒川の女たち」という映画が上映されています。あらすじは、終戦直前、ソ連軍が満洲へ侵攻し、多くの日本人開拓団が取り残されるところから始まります。
逃げ場を失い、集団自決を選んだ団もあれば、この作品の中心となる黒川開拓団は、生き延びるためにある決断を下しました。
それは、若い未婚女性たちをソ連兵に差し出すという、あまりにも過酷で悲しい選択でした。その見返りとして、団全体が無事に日本への帰国を果たします。
これに関連した本『ソ連兵へ差し出された娘たち』が、師匠から経営塾の課題本として紹介されました。ページをめくるごとに、胸が締めつけられ、息苦しくなるような感覚に襲われました。
戦争という極限の状況下で、少女たちは理不尽な暴力の脅威にさらされながらも、自分を犠牲にして家族や仲間を守ろうとします。その行為は、単なる「耐える」という言葉では語り尽くせないものでした。
そして、衝撃はそれだけにとどまりません。日本に帰国した後の彼女たちは、「恨まない」「語らない」「責めない」という三つの姿勢を徹底し、沈黙を守り続けます。
誰かを非難すれば自分も傷つくことが分かっていたからです。地元で記念碑が建てられる場面でさえ、その功績や苦しみは脇に置かれ、名前すら記されないこともありました。
さらに、心ない言葉が彼女たちを襲います。「減るものでもないし」「ソ連兵のケツを追っていた」といった、耳を疑うような中傷です。
現代であればセカンドレイプと呼ばれるような発言ですが、当時の彼女たちはそれにも反論せず、静かに日々を送りました。その姿を知ったとき、私は師匠から学んでいる「損を引き受ける」という言葉を思い出しました。
自分を差し出しながらも、他者を責めず、今を生き抜く。私は果たして、そんな生き方ができるだろうかと自問しました。
その答えは、正直に言えば「難しい」というものでした。
今回の課題本は、「本当に損を引き受ける覚悟があるのか?」 と私に迫ってきました。このように、最初は完全に少女たちの立場から感情移入をしていました。しかし、このような感想を師匠が求めているとは思えずに、さらに、読み進めるうちに別の視点が浮かびます。
「少女を差し出す決断をしたのは誰か」という問いです。それは、開拓団の指導者たちでした。上からの指示や集団の同調圧力を使って、彼らはこの決断を実行したのです。
読み始めたころ、私は彼らに強い嫌悪感を覚え、「戦争という極限状況では、人はここまで非道なことができるのか」と思いました。しかし、時間をかけて考えてみると、見えてきたのは別の側面です。
私は自分自身の立場に思いを馳せました。私は社長という立場で、従業員を守る責任があります。起業当初の私は、会社を存続させるために必死でした。忙しい時期には、残業や休日出勤をお願いしたことも何度もありました。
戦時中の極限とは比べものにならないにせよ、私もまた「誰かに負担を背負わせる」をやってきたことに気が付きました。
当時の私は、自分の判断を「会社のため」「お客様のため」「みんなのため」という言葉で正当化していました。今、思えば、それは必ずしも悪意ではなく、むしろ「そうするしかない」という切迫感から来ていたと思います。ただ、それでも誰かに重荷を背負わせた事実は消えません。
この本を読んだときに「なんて非道な指導者だ」と感じたその姿と、自分が重なりました。戦時中という極限状態ではないにもかかわらず、私は「差し出す側」をやっていました。
私は「損を引き受ける」という課題に対して、周辺のごみ拾いをしたり、周囲の人に親切な行動をするようにしていますが、少女たちに比べれば、何の犠牲も払っていません。
自分が大きく傷つかない範囲内で行っていただけのことでした。「良い人としての自分」を保つための、パフォーマンスと言ってもいいでしょう。
この本を通して、自分が本当に損から逃げていたこと、誰かを差し出すことで自分を守っていたことを、まざまざと突きつけられました。
「あなたは、指導者としてどうあるのか?」という問いが、何度も私に突きつけられました。社長という立場で、自分がどんな責任を果たしているのか?
誰かを都合よく使っていないか、そして何より、「損を引き受けるふり」をして、自分の甘さを隠していないか。私は今、この問いに真正面から向き合いたいと思います。
そして、このように自分を過剰に卑下することで良い人に逃げ込むのではなく、自己犠牲をともなう本物の「損を引き受ける」生き方を実践したいと思います。
それは決して派手なことではなく、小さな日常の中にある「誰かのために、自分の利益を手放すこと」だと思います。
さらに、彼女たちがそうであったように、過去の苦しみにとらわれず、「今日をどう生きるか」を実践していきたいと思います。
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