「会社は大丈夫か」と声をかけられて気づいたこと
- 辻 敏充
- 2025年12月15日
- 読了時間: 3分
私の父は、私が中学生の時に脱サラして起業し、そして私が高校1年の冬に倒産しました。母が涙ながらに「このお金を隠しておいて」と新聞紙に包まれたお金を渡してきた光景は、今でも鮮明に覚えています。
倒産後、数年して父は、再び商売を始めました。しかし大学生だった私は、「あれだけ迷惑をかけておいて、また商売をするのか」と怒りがこみ上げ、父の行動を受け入れることができませんでした。実家にも、できるだけ帰らないようにしていました。
そんな背景があったため、私は卒業後は安定を求めて大企業へ就職し、「経営には二度と関わらない」と心に決めていました。
ところが就職して数年後、母から「お父さんの顔が真っ黄色やねん…」と今にも泣き出しそうな声で電話がありました。急いで病院に行くと、父は弱り切った姿でベッドに座っていました。すぐに大学病院へ転院し、その夜には母から「今から緊急手術」という連絡が入りました。
母は病院に付きっきりになり、会社を継ぐ予定だった弟が急きょ退職し、ひとりで会社を支えることになりました。しかし、引き継ぎも経営の知識もない状態で背負うには、あまりにも重い状況でした。
「弟ひとりに任せるのは無理だ。自分も戻るしかない」
そう判断し、私も退職して戻ることにしました。これは自分で選んだ道です。だから誰も恨んでいません。ただ、当時の私は自分が会社を辞めたことを“少しだけ”後悔していたのも事実です。そして、「あの嫌な倒産だけは絶対に繰り返さない」と強い思いで働いてきました。
数年前から父は物忘れが増え、ボケが始まりました。ある夜遅く、父が会社に来てこう尋ねました。
「会社は大丈夫か?」
私は「大丈夫」とだけ答えました。父は何も言わず、少し寂しそうに帰っていきました。それと同じやり取りが何度か続きました。当時は「遅くまで働く息子を心配しているのだろう」と軽く受け止めていましたが、最近になってその問いの意味が違って見えるようになりました。
自分の病気のせいで息子に苦労を背負わせたのではないか。
息子は幸せに生きているのだろうか。
そんな後悔や不安が、父の短い言葉に隠れていたのかもしれません。私は父を恨んでいません。会社を継いだのは自分の意思ですし、後悔もありません。ただ、父はそのことを知らないまま、自分を責め続けているように見えました。
そのことに気がついた時、私は初めてはっきりと、
「父に安心してほしい」
「この選択でよかったと伝えたい」
と強く思いました。
父は倒産や病気という苦難を経験しながらも、立ち上がり続けた人です。家族を守るために、どれほどの思いを抱えていたのか。私自身が父となり、息子が大学生になった今、ようやくその重さが分かるようになりました。
だからこそ私は、経営者として成功し、父にこう言いたいのです。
「もう大丈夫やで。安心していいよ」
気づけば私は、MGの講師として多くの人と出会い、学びの場をつくり、会社の舵を取りながら充実した日々を生きています。かつて嫌だった“経営”というものが、今では多くの人とのつながりを生み、人生を豊かにしてくれました。
「親父のおかげで、思いもよらない道に進んだけれど、人生は深みのあるものになったよ。ありがとう」
父を安心させられるように、胸を張って「大丈夫」と言えるように、これからも努力を続けていきたいと思います。
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